ブーメラン5-a

第五章 a

母親にそっくりの娘

社会と私たち

「私たちの社会では、
こうすることになっている。」
社会は、慣習や規範を、
もっともらしい顔して、押し付けてくる。

「こういう、きまりだから」
社会は、勝手に、押し付けてくる。
こうして、子どもの、
自然な心の発達を妨害する。
私たちを、分裂させて、
無力感と怒りの原因を、
分からせないようにしてしまう。

私たちが、愛と共感を求めている傍から
規範やきまりを、押し付けてくる。
愛と共感を求める気持ちを、
大幅に後退させて、無感覚にしてしまう。 
 
愛と共感の、大切な気持ちを、
怒りと破壊的な衝動に、切り換える、
悪質な手品が、進行する。

 社会の慣習や規範が、「悪」だと
気付いてもいないし、それで、
本来の自分が疎外されると、気付かない。

社会は、慣習や「きまり」の名にもとに、
死と破壊的な憎しみの種を、
もうすでに、送り届け続けている。
やがて、芽を出して、しっかりと、
私たちの人生に根をはっていくだろう。


社会と自分のズレ

曰く、「きまりを守って、
社会によく適応しなさい」。
自分の本当の願いと
社会との、大幅なズレを生じて、
これがさまざまな、精神的トラブルの、
原因となる。
社会に適応できなくて「病気」になる。

社会の、慣習や「きまり」は、
子どもと、心が通じ合えない親と、
同じである。
 
 新鮮な感受性があって、
「彼岸」の、もっとましな世界を、
追い求めている人、
十分に知りつくした上でなら、
あなたを愛せると、信じている人、
反対に、同じ意味で
相手から愛されることを、望んでいる人

「もう一つの彼岸」にたどり着くには、
一定の代価が、必要ある。
社会に合わせられないで、
自分の可能性を、突き進むならば、
社会から、爪はじきに遭うだろうし、
仕事では、失敗しやすいだろうし、
精神的にも、トラブルになるだろう。


社会対応、二つのカテゴリー
 
一つ目は、慢性型、
よくも悪くもならない、経過の長い人。
社会に適応するためだからと言って、
自分は変えられない
いつも「不適応の困難」にある。

二つ目は、後発型、
一見、うまく社会に合わせているが、
ある日にわかに、途方にくれてしまう人。
 
一つ目、慢性型。
文化は、
服従、順応、激しい感覚の抑制の技術などを、
押しつけてくる。

文化の「まやかし」をすぐ見抜く、
欺瞞も受け入れない。

「支配や、強制や服従はごめんだ!」
感覚を分断する、社会の圧力を、け散らす。
感受性は、豊かで、
意味もなく、「まやかし」に従わない。

「まやかし」を拒絶するが、
当然、社会からは拒絶される。
内面の、拒絶や怒りを、表に出さない。 

子供のとき、
一番欲しかった親の愛が届かず、
利用された。その怒りと恐怖に、
文化の「まやかし」への怒りが重なる。

ところが、もう一方で、
自分に罪があると、信じこんでいる。
「あれこれうまくいかないのは、
私が悪いせいなんだ」
罪の意識から、
怒りの増大を我慢して、抑え付ける。
 
社会にうまく適応したいが、
どうしたらいいか、分からない。

軽症タイプの場合は
罪の意識を解放して、自由になれれば
普通に一般社会に、溶け込める。

いささか重症タイプの場合は、
何かとトラブルを起こす。
「ボーダーラインケース」と呼ばれ、
扱いにくい。何かと苦情がくどい。
友人が、
親身に聞いてあげられればいいが、
嘘をごちゃ混ぜにして、相手しにくい。
私個人は、興味深く、感受性が豊かで、
一緒に仕事するのに有望で、
最も期待できると思っている・・・。 

第二のカテゴリー、
それまで問題なく、順応してきたが、
ある日にわかに、途方にくれた。
 
治療者好みの人々は
無感覚の状態、何も感じなかった状態に、
戻して欲しいといってくる。
気分を変える薬、安定剤、
グループ療法などで
混乱した感覚を、緩和するだけで、
改善したつもりでいる。

一方、事態をしっかり受け止める人々は。
自分の挫折を、
人生のハードルとして利用して、
意欲十分である。
(積極性がある点で、第一カテゴリーの
「ボーダーラインケース」に似る)